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静岡地方裁判所 昭和47年(ワ)347号 判決

原告

渡辺孝子

ほか二名

原告三名訴訟代理人

平井広吉

被告

安田火災海上保険株式会社

右代表者

三好武夫

被告

徳満正之

右両名訴訟代理人

御宿和男

主文

一、被告徳満は原告孝子に対し金四〇万円、原告晴子に対し金四〇万円、原告ひろ子に対し金四〇万円および右各金員に対し昭和四七年一〇月一〇日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らの被告会社に対する請求および被告徳満に対するその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、原告と被告徳満との間では、原告に生じた費用の五分の二を同被告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告会社との間では、全部原告の負担とする。

事実

(請求の趣旨)

一、被告らは各自、原告孝子に対し金一〇〇万円、原告晴子に対し金一〇〇万円、原告ひろ子に対し金一〇〇万円とこれに対する本訴状送達の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は、被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

(請求の原因)

一、原告ひろ子の夫であり、原告孝子、同晴子の父である訴外渡辺哲夫は、昭和四五年七月一七日富士市比奈付近の東名高速道路において、訴外有限会社五日市高速運輸(旧商号有限会社水内運送、以下訴外会社という。)保有、訴外林田環運転の大型貨物自動車(広島一え二〇八〇号、以下訴外車という。)に衝突される事故(以下本件事故という。)で死亡した。

二、訴外会社は、自賠法三条に基づき本件事故に起因する損害の賠償義務があり、本件事故当時、訴外車につき、被告会社との間において、保険金額五〇〇万円の自動車保険(いわゆる任意保険、以下本件保険という。)契約を締結していた。

三、原告らは、訴外会社の代表者であつた訴外野津竹一との間で、本件事故の損害賠償に関して交渉を続けていたところ、同訴外人から、本件保険金を受領して原告らに対し金三〇〇万円を支払うから仮示談書に捺印してほしいとの要求があつたが、訴外人の不誠実な態度からみて、右要求に応ずることは危険であると考え、原告らに対し被告会社から直接保険金の受領できる委任状を交付するよう求めたが、訴外人はこれに応じなかつた。

四、被告会社広島支店の査定係を担当していた被告徳満は、原告らに対し「訴外野津は信用できる人物であり、たとえ同人が信用できなくても、自分を信用してほしい、保険金は責任をもつて原告らの手にはいるようにするから、委任状なしに仮示談書に捺印して提出してほしい。」と催足した。

五、原告らとしては、訴外会社や訴外野津に対しては、強い不信の念をもつていたのであるが、被告会社の担当職員がそのように言うのであれば間違いないものと信じ、昭和四六年三月一一日仮示談書に捺印して、訴外野津に交付した。

六、ところが、その後、前記約定の保険金の支払がないため、原告らにおいて調査したところ、同月三一日保険金五〇〇万円が訴外会社に支払われているが、訴外会社がこれを他に流用して消費し、原告らに支払うべきものは全く残されていないことが判明し、原告らは前記三〇〇万円の支払を受けることができなかつた。

七、以上のとおり、被告会社の業務担当職員である被告徳満が原告らにおいて仮示談書に調印すれば、訴外会社が原告らに対し金三〇〇万円を支払うことを保障する旨約したのであるから、被告らは原告らに対し右約定債務の不履行に基づく損害賠償として、金三〇〇万円を支払うべき義務がある。

八、前項と選択的に、被告徳満は、前記のように約定しながらこれを実行せず、訴外野津と共謀して、原告らに金三〇〇万円を支払うかのように申向けて欺罔したうえ、原告らから仮示談書の交付を受け、これを利用して保険金の支払をうけ、これを他に流用して、原告らに同金額相当の損害を加えたものというべく、仮に共謀の事実が認められないとしても、少なくとも、被告徳満は、訴外野津の右詐欺行為をほう助したものであつて、被告徳満の行為は、被告会社の業務の執行に関してなされたものであるから、被告会社は、民法七一五条により、右行為によつて原告らのうけた損害を賠償すべき義務がある。

九、よつて、被告らは各自原告らに対し、各金一〇〇万円宛とこれに対する本訴状送達の翌日から支払ずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

(答弁の趣旨)

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は、原告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言に対し、担保を条件とする免脱の宣言を求める。(請求の原因に対する答弁)

一、請求の原因一、二項は認める。同三項は不知。同四項のうち被告徳満が被告会社広島支店の査定係を担当していたことを認め、その余は争う。同五項のうち、原告らが訴外野津に対し示談書を交付したことを認め、その余は不知。

同六項中、被告会社が保険金五〇〇万円を訴外会社に支払つたことは認める。同七、八項は否認する。同九項は争う。

二、任意保険金については、被害者の保険会社に対する直接の請求権がなく、保険会社は、保険契約者が損害賠償義務を負担した場合に同人に対し保険金を支払うのが原則であり、被害者に対し直接保険金を支払うのは、保険契約者の指図によつて保険会社が支払事務を代行しているに過ぎず、従つて代理受領のための委任状を必要としない。

三、任意保険金は、被害者の損害賠償請求権のみを担保するものではないから、原告らから仮示談書の交付を受け、これを利用して保険金の支払を受けたことは、原告らの損害との間に因果関係はない。原告らが賠償金の支払を受けられないのは、訴外会社らの賠償義務が無資力だからであつて、それ以外の何ものでもない。

四、仮に、本件保険金が未払のまま残つているものとしても、原告らの訴外会社に対する損害賠償請求権をもつて、保険金から優先弁済を受けられないから、被告会社の訴外会社に対する不当利得返還請求権による相殺もありうるし、また、原告以外の本件事故被害者その他訴外会社に対する一般債権者からの配当加入もありうるのである。

(証拠)〈省略〉

理由

一当事者間に争いのない事実

請求原因のうち、一、二の各事実、被告徳満が被告会社広島支店の査定係をしていたこと、原告らが訴外野津に対し仮示談書を交付したこと、被告会社が訴外会社に対し本件保険金五〇〇万円を支払つたこと、以上の事実は当事者間において争いがない。

二当裁判所の認定事実

〈証拠〉を総合すると次の各事実を認めることができる。右認定に反する被告徳満の供述部分は、前掲各証拠と対比して、たやすく措信することができず、ほかに右認定を在右するに足りる立証はない。

(一)  原告らは、訴外会社の代表者であつた訴外野津竹一との間で、本件事故によつて死亡した哲夫に対する損害賠償につき交渉を続けてきたところ、訴外野津は、昭和四五年一一月二〇日頃原告ら方に電話をかけ、訴外人において本件保険金を請求受領して、原告らに対し賠償金を支払いたいから、仮示談書を作成して提出してほしい旨申入れてきたこと。

(二)  原告ひろ子は、仮示談書のことにつき、保険会社に勤務する知人に相談したところ、訴外野津の不誠実な態度からみて、同人に保険金を費消されてしまう危険性があることと、仮示談書の交付により正式の示談とされるおそれがあるから、訴外会社を代理して直接原告らが保険金を受領でき、かつ受領金額を明示した委任状を訴外会社からもらうことと、仮示談書には正式示談ではなく保険金受領のためである趣旨を明記するのがよい、という忠告を受けたこと。

(三)  その後、被告徳満は、原告ら方に電話をかけ、訴外野津の申入れた仮示談書は、あくまでも保険金をおろすためのもので、最終示談ではないから、被告徳満を信用して仮示談書を提出してほしいと言つてきたが、原告らは訴外野津が信用できない点を指摘して保険金を直接受領できる委任状を交付するよう申入れたこと。

(四)  訴外野津は、昭和四六年一月一五日頃、原告ら方を訪れ原告ひろ子に対し、本件保険金を受領して銀行に預金し、右預金を担保にして銀行から八〇〇万円を借入れ、そのうち五〇〇万円を原告らに支払うから、仮示談書に捺印してほしいと申入れたが、原告らはこれを拒絶し、保険金代理受領のための委任状の交付を求めたが、訴外人はこれを拒否したこと。

(五)  被告徳満は、同月から同年三月頃にかけて、原告ら方に電話をもつて数回にわたり、訴外野津が信用できる人物であり本件保険金が原告らの手にはいることは間違いないこと、被告徳満において責任をもつて保険金が原告らの手にはいるようにするから、委任状なしに仮示談書を作成提出してほしい旨催促してきたこと。

(六)  訴外野津は、同年三月一一日ころ原告ら方を訪れ、仮示談書の捺印を強く求めるとともに、保険金のうち対人賠償三〇〇万円、対物賠償一四万円を原告らに支払う旨申入れたので、原告らは訴外人に対しては非常に強い不信の念をもつていたが、被告会社の担当職員である被告徳満が保険金の支払を保障する旨確約しているので、同人の言を信頼して、訴外人の申入れを容れ、仮示談書に捺印し同人に交付したこと。

(七)  その後一、二日して、原告ひろ子は、訴外野津から委任状をもらわないで仮示談書を交付したことに不安を感じ、被告徳満に電話をかけ、訴外野津が保険金として金三一四万円を支払う旨約したこと、原告らが野津に仮示談書に調印し交付したことを告げて、保険金が原告らに届くように依頼したところ、被告徳満はこれを了承し、保険金が必ず原告らの手に渡るようにするから安心してほしい旨の応答があつたこと。

(八)  その後四、五日して、原告らは、訴外野田稔を介して、被告会社広島支店の被告徳満に電話したが、同人が不在だつたので、同支店の職員に対し、保険金が出るときには原告らに連絡してほしいと依頼したが、被告徳満から保険金支払に際し、原告らに対し通知はなかつたこと。

(九)  被告会社広島支店では、同年三月三一日に訴外会社に対し保険金五〇〇万円を支払つたにもかかわらず、訴外会社ないし訴外野津は無資力でありながら、保険金を他に流用費消して、原告らに支払うべき金銭はなく、原告らは同年六月ころ訴外会社振出の額面総額三〇〇万円の約束手形を受取つたが、その手形は不渡りになつたこと。

(十)  原告らは、同年一月一五日ころ、訴外野津から本件損害賠償として、額面各一〇万円、支払期日が同年二月から一二月までの約束手形一一枚を受領したが、右手形のうち支払期日が二月から六月までの金五〇万円相当分は支払われたが、その他の手形は不渡りになつたこと。

三、被告徳満の約定債務不履行について

(一)  以上の認定事実によれば、被告徳満は、原告らに対し、訴外野津が信用できる人物であつて、訴外会社が間違いなく原告らに保険金のうちから金三〇〇万円の賠償金を支払うことを保障する旨約したにもかかわらず、右約旨に反しそのころ手形をもつて金五〇万円の支払がなされただけで残金二五〇万円の支払がなされず、右約定債務の不履行によつて、原告らに対し金二五〇万円の損害を与えたものというべきである。

(二)  けれども、前示認定事実によれば、原告らにおいても、訴外野津が誠意のない人物であり、訴外会社が保険金を受領しながら原告らに賠償金を支払わないおそれがあることを十分に認識していたにもかかわらず、被告徳満のいうことを漫然と信用し、仮示談書を交付した点に原告らにも過失があつたものというべく、この過失を斟酌して被告徳満の賠償額を金一二〇万円にするのが相当である。

四、被告会社の債務不履行責任について

(一)  原告らは、被告徳満を商法四三条の商業使用人として、被告会社の責任を追及するものと思われる。被告徳満の供述によれば、同被告は、当時被告会社の査定主査として、保険金の査定、支払の業務をしていたことを認めることができる。けれども、被告徳満が営業に関する或種類又は特定の事項についての委任を受けた使用人であることを認めるに足りる立証はない。

(二)  そのほか、被告徳満が当時被告会社に代つて、前示の約定債務負担の意思表示をする代理権を有していたことを認めるに足りる主張・立証はないから、原告らのこの点に関する主張は採用できない。

五、被告徳満の不法行為責任について

(一)  前示の認定事実によると、訴外野津は、訴外会社の代表者として、本件保険金を請求のうえ受領し、内金三〇〇万円を原告らに支払う意思がないのにかかわらず、これがあるように装い、原告らを欺罔して仮示談書の交付をうけ、これを利用して保険金五〇〇万円を受領し、これを他に流用費消したことを推認することができるし、被告徳満は、訴外人が保険金を受領するにあたり、原告らに対し、訴外人が信用できる人物であり、保険金は必ず原告らに入手できる旨、結果的には虚偽の事実を告げることによつて、原告らを錯誤に陥入れ、仮示談書を訴外人に交付させ、もつて訴外人の保険金取得行為を容易ならしめたものであることを認めることができる。

(二)  原告らは、被告徳満が訴外野津と共謀して、同人の詐欺行為に加担した旨主張するが、前示の認定事実から右主張を推認することは困難であり、ほかに右主張を認めるに足りる立証はみあたらない。けれども、当時被告徳満において、訴外人が信用できる人物であり、同人が間違いなく原告らに対し保険金を支払うものと信じていたとしても、そう信ずるについて合理的な根拠を有していたことを認めるに足りる立証のない以上、同被告がそう信ずるにつき過失があつたものと推認するのが相当である。

(三)  原告らは、被告徳満の前示過失(以下本件過失行為という)によつて金三〇〇万円を受け取ることができず、同額の損害を蒙つたと主張する。けれども、本件事故における加害者の態度と被害者の数および現行任意保険制度のもとでは、かかる見解は正当ではない。原告らの損害は、本件過失行為がなかつた場合に、原告らが本件保険金から支払を受けえたであろう賠償額を指すものと解するのが相当である。

(四)  すなわち、現行自動車対人賠償責任保険約款のもとでは被害者の保険会社に対する直接請求権がなく、そのうえ、加害者(被保険者)の保険金請求権は、被害者との間の賠償債務が確定したときに発生するものとされ、加害者が被害者に賠償金を支払わない以前にも、保険金を請求し受領できる仕組になつているから、被害者に対し保険金からの賠償金の支払が制度的に保障されているとはいえないのである。

(五)  かような保険制度のもとでは、たとえ本件過失行為がなかつたとしても、原告らが訴外会社と交渉して保険金のうちから金三〇〇万円を受領できる可能性は、前示訴外野津の不誠意な態度からみて極めてすくなく、かつ前示のとおり、本件事故の直接被害者が訴外哲夫のほかに二名あつたのであるから、他の被害者と訴外会社との間において示談が成立するなどして保険金が支払われてしまうと、原告らには全然保険金からの支払を受けることができないことになるのである。

(六)  もつとも、わが任意保険取扱の実情によると、保険会社から直接被害者に対して保険金が支払われる例もみられるけれども、これは被保険者(加害者)の意思によるものであつて、被保険者の被害者への支払指図がなされず、或は被害者に対し直接受領の委任状が交付されないかぎり、被害者は保険会社から直接保険金を受領することのできないことは、前示保険制度のもとでは当然のことである。

(七)  以上のとおり、原告らは本件過失行為がなかつたとしても、本件保険金から賠償金の支払を受ける可能性は極めて少なく、従つて、本件過失行為によつて原告らに損害が発生したということは困難であつて、原告らの不法行為に基づき損害賠償を求める主張は、結局損害の発生につき証明がないものというほかなく、これを採用することができないのである。

六、結論

(一)  以上によると、被告徳満は原告らに対し、金一二〇万円の賠償義務があるところ、これに対する原告各自の取得割合は、原告各自の訴外会社に対する賠償請求権の比率によつて決すべきであるが、この点に関する主張立証はない。けれども、前示原告らの哲夫に対する相続分が各三分の一であるから賠償請求権もほぼ同率と考えられるし、原告らの本訴請求額もまた各三分の一であることを考えあわせると、原告らの被告徳満に対する認容額は各三分の一の金四〇万円宛とするのが相当である。

(二)  そうすると、被告徳満は原告ら各自に対し、金四〇万円宛と右各金員に対する本訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四七年一〇月一〇日から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告らの請求は右の限度において相当として認容し、その余は失当として棄却すべきである。

(三)  よつて、仮執行の宣言は相当でないから付けないこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を各適用して、主文のとおり判決する。 (安田実)

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